2023年01月31日

ふじみ野高校10周年記念式典

埼玉県立ふじみ野高校創立10周年記念式典が ふじみ野高校体育館で行われました。
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記念講演で 東京オリンピック柔道金メダリスト新井千鶴さん(三井住友海上火災保険株式会社)所属)が、「ふみだす一歩」と題して、なぜ、現役引退を決断し、パリを目指さず、指導者を目指したのかなど、幼いころのエピソードも含めて「ふみだす」人生を語りました。
5歳の時に初めて柔道をやり、一日でやめたことや、その後の心と体のバランスを崩した経験、「自ら考えて、行動を起こすことの大切さ」を熱く語り、「東京オリンピックまでの経験の中で、選手時代はそんなに長くないと思っていた。自分の経験が、一人一人の目の前の人たちに当てはまるものではなく、自分の経験をもとに、様々な選手に寄り添う活動を選択した」と語りました。
大変いいお話を聞くことができました。

式典では、私は来賓の挨拶をさせていただきました。
ふじみ野高校は、もとはと言えば「大井高校」でした。大井高校の開校の時の様子を「大井しんぶん」縮刷版で調べたら、ありました。ありました(*^-^*) 故鈴木みどり町議が、開校にあたって、バス路線の整備を町議会で取り上げていました。
「15の春を泣かせない」と、畑やわら革新県政の時の1978年開校。私は、当時の関係者がどういう思いで大井高校を開校したのか、そのことに少し触れたいと思い、そして「教育費は無償に」の想いを語りたいと思い、以下の挨拶をしました。

ふじみ野高校10周年おめでとうございます。記念すべき式典にご案内いただき、そして挨拶をさせていただく機会を与えてくださり、心から感謝申し上げます。日本共産党の県議会議員前原かづえでございます
心を込めてお祝いの言葉を述べさせていただきます。
とはいうものの、コロナ感染で、3年が過ぎました。今年卒業を迎える高校3年生の皆さんは、中学3年の春にコロナで突然の自粛、学校休校、式典なし。小学校入学の春は、東日本大震災が起きた年です。節目の年に何かと起こっている。関係者の皆さんは、高校卒業式は無事に迎えたいと願っているときに、先日の高校爆破予告。高校3年生にとっては、入試前、卒業式前最後の登校日。「入試頑張ろうね」「最後だね」の学級活動や、友達とのおしゃべりの時間も奪われて即強制下校という大変な状況の中で、本日の式典を準備された校長先生はじめ関係者の皆様に敬意を表したいと思います。
教育をめぐる環境は厳しいものがあります。私は、
子どもの個人の尊厳を尊重した、子どもの声にていねいに応える教育でこそ、子どもたちは豊かに育つと考えています。そのためには、一人ひとりに目が届く教育条件と、子どもの状態に応じて教育をすすめられる自主性が欠かせません。そして、多くの国民が、幼児教育から大学教育まで誰もがお金を気にせず教育を受けられるようになることを願っています。「持続可能な開発目標」(SDGs)も「質の高い教育をみんなに」をかかげ、無償教育の拡大を強調しています。
ふじみ野高校10周年を迎えた今、改めて、お金の心配なく教育が受けられる条件整備に、県議会も力を尽くしたいと思うところです。
温故知新という言葉があります。古きを訪ね、新しきを知る。このふじみ野高校の前身は大井高校でした。1978年(昭和53年)大井高校が開校。2013年に2校の統合により、ふじみ野高等学校が、大井高等学校の位置に普通科および、スポーツサイエンス科を設置し開校。
出身者に佐藤藍子さん元アイドルグループのメンバー、田中元プロサッカー選手という紹介があります。地域に学校があるのは、その地域のコミュニテイーを育てます。かつて大井高校という名称を決める時も話し合いで決めました。この高校の入り口が三芳町で、建物が建っているところが旧大井町ということを見ても、いかに「地元に高校建設を」と願った人たちがいたかということを物語っていると思います。
ふじみ野高校10周年にあたって、益々地域の学びの場として発展していく事を心から願います。
ふじみ野高校の目指す学校像は、声からの時代をたくましく生きる知・徳・体をはぐくむとともに、学習に、スポーツに、文化活動に全力でチャレンジ、地元に元気・感動・夢を発信する学校です。
ふじみ野高校の校舎から、グランドから、生徒の声が聞こえなくなったあのコロナ感染拡大の息も詰まるような光景が再び起こらないよう、肝に銘じて、憲法26条に歌われている教育を受ける権利を充実させることを誓って、お祝いの言葉とさせていただきます。本日は誠におめでとうございます。

式典の後で、保護者の方から、「感動しました。本当にいろんなことがありすぎて、ウルウルしました」と声をかけていただきました。
玄関で見送ってくださる校長先生が、私が自転車できたことを知ると「ジ・テ・ん・車?!」とびっくりされたのがおかしかった(*^-^*)
校舎を後にして、事務所に向かったが、どうも力が出ない。
そうだ!祝辞を考えるために御昼ご飯食べてなかったことに気が付いた。15時おやつの時間に卵とじうどんを食べました。肩の荷が下りた感じ。




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2023年01月27日

47年前の投書

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1976年12月●日 赤旗 ひろば欄に載った私の投書 (母がとっておいてくれた)

まだ5時半だというのに、日はとっぷり暮れ、冷たい北風が吹いています。
「今日は奮発しよう」と、仕事に疲れた体をタクシーのシートにうずめ、「T町に行きたいんだけど、その前にT保育所へ行ってください。子どもを連れてくるので」と、運転手に行き先を告げました。
「そりゃあできないよ。」(そらきた・・・)。私は内心そう思いながら、「なぜ?」と聞き返しました。「T町も、T保育所も同じ料金で行っちゃうんだ。そのうえ、待たされたらかなわねえ。T保育所で、一度料金を払ってくれるなら別だが」「2倍は払えないわ。それに、同じ料金じゃないわよ。今まで、50円は多く払っていたわよ」「いやあ、T町なら少し寄り道したって基本料金で行くよ。お客さんを保育所で卸して、新しい客を乗せた方がいいからねえ」と、押し問答しているうちにおろされた。
 初めてこんな目にあった日は、冷雨がふっていました。悔しいよりも、悲しくなってしまい、背中の子の重みがずんと増したような気持ちで、足は少しも前に進みません。私みたいな貧乏人がタクシーを利用するのは、よほどの理由がある時なのに。
 田舎でお産をして、荷物をたくさん持って帰ってきたときは、「会社ではねえ、お客を乗せろ、荷物を載せることはないといわれているんだよ」と、家に着くまでおんなじことを何度も言われました。タクシー料金が値上げされても運転手の賃金が良くなるわけではないといいます。それが、こんな形で響いているのかな・・・と複雑な気持ちです。(埼玉県・前原かづえ 27歳)


息子が1歳の時の投書である。
本人は忘れてた。母が切り抜いてとっておいてくれた。

タクシー労働者が、「洗車のお金や、お客がカード決済の時の手数料は、会社が持つのでなく、運転手が負担させられる」労働法違反ではないかと、国会で伊藤岳さんが追及したのは最近の話。タクシー運転手の労働条件は、改善されないまま。この業界も、後継者が不足して、定年退職した人が再びハンドル握るけれど、やめていくばかり。
こんな負の連鎖が続くのは、今の政治が「国民の人権」を保障せず、アメリカ言いなりの軍拡路線を進むからだ。

安倍元総理が「戦争できる国」に変え、岸田総理が「戦争する国」に変える。
23日から始まった国会を見るたびに、岸田首相の「丁寧に説明する」という言葉に背筋が寒くなる。

地域で対話しながら集める署名。「何もできないけど、これくらいなら」と応じてくれる方。
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声を束ねて「希望の階段つくってゆく 一雨潤千山」森谷明仙さんの書に励まされながら。
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posted by とんちゃん at 16:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月14日

高齢者であること

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母が、脳梗塞で、入所施設から、救急車で運ばれて3か月になる。その間、「なにぶん、ご高齢ですから」と、命の危険を再三言い渡された。
11月に、救急病院から、現在の病院へ転院。その間に、特別養護老人ホームは退所した。

コロナ感染対策のため、面会はリモートだ。面会の予約をしなければならない。仕事中の電話はなかなか難しい。
「今日行ける!」と思って電話を入れると、当日の申し込みは受け付けていないという。

わずか10分間の面会だけど、できるだけ 面会に行って、母に語りかけたい。
眠っている母に、「○○がね』と、ひ孫の名前を言うと、目を開ける。なんかようか?という目つきをする。会話はできない。意識があって目を開ける風ではないが、緊急入院した時に比べると、いい顔をしている。

赤旗の投稿欄で、「2年間入院して、意識が戻って、今101歳」の記事を読んでから、私の母もそうあってほしいと思い、妹家族、私の子どもたち家族、入れ代わり立ち代わり、リモート面会している。が、皆、仕事を持ち、受験生を抱え、小さな子どもを抱えている。なかなか大変。
なので、スマホで動画を撮っては、皆で共有している。こういう時は便利。

入所施設の時は、費用が引き落としだった。
病院は 振り込まなくてはならない。久々に、母の郵便貯金を下ろしに行った。団会議の日だったので、浦和の駅前郵便局でお金をおろした時のこと。
「ご住所が、ふじみ野市ですが、なぜこちらで?」と聞かれてびっくり。「職場がこちらですから」と答えながら、以前はこんな質問はなかったと、気分が悪い。まるで私が不正を働いているようだ。
次に、「ハンコが薄いから、もう一度押してほしい」と言われた。手元をジーとみられているようで嫌な気分。

私は、白髪だから、銀行などの自動機器の前に行くと、銀行員の視線が気になることが多々ある。オレオレ詐欺などの被害者にならないように見守ってくれているんだと思うようにしてきたが、なんとも、今回の「ふじみ野市なのに・・・」の問いかけは気分が悪い。

それだけ被害が多いのだと思うが、そういう犯罪が多くなったのは、社会状況が不安定だからだ。
なんで こんな社会になってしまったのか。

弱肉強食・軍事費拡大・原発推進・自己責任押し付ける政治を変えたい!
posted by とんちゃん at 23:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月11日

二十歳の集い(ふじみ野市)

ふじみ野市の二十歳の集いは ステライーストで 3回に分けて行われました。
三芳町の会場と違って、目の前に大型店ができて 車の往来が激しい中で ロープに沿って移動し、受付にたどり着く。
交流や、記念撮影は、隣の駐車場で行う。生まれた日の新聞記事を受け取るコーナーがあって、「わたしももらってこよう」と言ったら、伊藤初美市議に「二十歳の方だけですよ」・・・そりや そうですね。
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会場の前では、原水禁連絡会の方たちが、「おめでとう」のチラシをまいていました。お疲れさまです。
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私は、2回目と3回目の式典に参加しました。壇上の写真は伊藤初美市議がとってくれました。
「二十歳のメッセージ」は素晴らしい感性あふれる発言でした。

体が弱くて、人前に出るのも嫌な消極的な子供だったというOさん。共働きの両親のもと、「なんで保育所いかなくてはいけないの?」と思っていた保育所の保母さんとの出会いが、自分も保母さんになりたいと思うきっかけだった。今は保育士になるために勉強している。

というOさんの言葉に、知っている方のお嬢さんでもあり、自分も3人の子どもを保育所に預け、働き続けたことや、二人の娘が保母を目指したのも、通っていた保母さんとの出会いがそうだった・・・などなど、いろんな思いが頭の中を駆け巡りました。

恩師の紹介に 会場が湧き上がるのも楽しい風景です。
議員や町会役員の紹介は、昔はちゃんと名前で紹介されましたが、最近は、一同で立って、お辞儀のみ。なので、ちょっと寂しいですね。

昔は、恩師との立食パーティーや、記念撮影などなど、イベントが色々ありました。
わずか20分で終わる式典でしたが、参加できることに幸せを感じます。

県議になったばかりの頃は、祝辞もさせていただきました。
たかはしべんさんの 「息子に」の詩を紹介して、大きな拍手をいただいたものです。
いつの頃からか、日本共産党の県議の出番がなくなりました(*_*) 謎です!

開場前で 「あ!前原さん ○○です」と青年に声かけられた。近所の男の子だった(*^-^*) 出産とともに戸建て住宅を買って越してきた○○さんの息子さんでした。
そっか〜もう20年たったんだ。年取るわけだ。

今朝の赤旗の潮流に、河野洋平元総裁の言葉がつづられている。
「70数年前に日本は決心したではないか。尊い命を犠牲にして我々は繁栄を得ている。決してあの過ちは繰り返しませんと何十年も言い続けて、この結果がこの政策転換というのはあり得ない」
歴史に刻まれた戦争の生々しい悲惨を知る世代が抱く危惧の念。闘わないために何をすべきか。それを追い求めていく事が政治の役割です


新成人に「半世紀前に二十歳でした」なんて冗談を言って、新成人に声をかけた私。
私が生まれた年の4年前に戦争があった。そして、2度と戦争しないと誓った人々の運動によって、今がある。
今を新しい戦前にしないために。
恒久平和を求めて、もうひと踏ん張りしなければなりません。

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成人式の合間に スクランブル交差点で 住民の会の宣伝に参加。
給食費ってこんなに高いんですか!の声が寄せられました。
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夜は、さいたま新都心で行われる旗開き参加のために 出かけました。改札口の蛍光掲示板がすごかった!
posted by とんちゃん at 16:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

二十歳のつどい(三芳町)

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1月9日 二十歳の集いが行われました。
コロナ感染対策で、2つの地域を、午前、午後と別れて コピスで行われた。

3年ぶりに、会場内で行われるはたちのつどい。
思い返すと、わが孫2人は 昨年、1昨年で、式典参加はなく、晴れ着姿を我が家に見せに来てくれた。

感染拡大が続いている中だけど、とにかく 式典があるので、私も出席しなければ〜と会場で、本名三芳町議と会う約束をするべく連絡を取った。
ら なんと、関係者だけで会場内には入れないとのこと。
そういえば、案内状が来ていなかったかな???

そのことを知ったのは、会場についてから(*_*)
でも、
つどいで 久々に会う友達との再会で 晴れやかな笑顔を見ているとそれだけでも 気持ちが和む。
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三芳町の広報委員さんが、参加者に声をかけて 記念写真を撮る風景や、増田町議、本名町議に声をかけてくれる人たちの姿を見ながら、
二十歳の皆さんの将来が、平和であること
そのために 選挙頑張らねば
という決意がわいてきた。
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増田町議が、娘さんたちを撮影している母親に
「一緒に撮っていただけませんか?」と声をかけ、相手が快諾してくれて、増田町議が撮った写真。なんともうれしい写真です。
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本名町議は、知り合いの方の 家族写真を撮影。住民の声にすぐ答える本名町議です。
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posted by とんちゃん at 15:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする