2018年10月23日

新潟県中越地震から14年

14年前の今日 午後5時56分 新潟県中越地震が起きた日。

今日午後、「沖縄で地震」の報を見て、「そうだ今日は故郷小千谷で地震が起きた日だ」と思い、「中越沖地震」で、検索した。
すると、2007年(平成19年)7月16日10時13分23秒に発生ーと出た。
??? 私の記憶の中では10月23日なのに???


「中越地震」が、2004年10月23日 
「中越沖地震」が、2007年7月16日なのだ。
「記憶の風化」と言うが、きちんと語り継ぐこと、教訓をいかすことは、意識しないとダメだと思う。

2004年の翌年、11月に弟がなくなった。地震後の自動車の中での生活からくるエコノミー症候群。「1年以上もたってから❓」と信じられなかったが、当時の小千谷市報には、地震後1年過ぎても「血栓が飛ぶ」状態でなくなる人がいることが報じられていた。

2007年の「中越沖地震」の記憶は不覚にも消えていた。
言い訳ではないが、2005年に弟がなくなり、寝たきり状態だった父を埼玉に連れてきて、老健施設、特養ホーム探し・・とあわただしく月日が過ぎていったからだろうと思う。

2011年に東日本大震災が起きた。原発事故により、いまだに故郷に帰れない人もいる。
中越地震の時に、日本共産党で支援物資を集めて、故郷に行った。道路が大きくめくりあがり、家はつぶれ、大変な状況だった。
しかし、復興は早かった。おぢや祭りの祭囃子が流れる中で、私は、故郷の同窓生達に感謝した。

福島へは、復興支援バスツアーで何度か行った。初めのころは、津波で流されてきたものを撤去する作業、時が少し経つと、観光地の復興支援で、特産品の買い物ツアーにも参加した。しかし、東日本大震災は「中越地震」の復興のようなスピード感がない。
何が違うのか。
原発事故によって、故郷に住めない状態になっているからだ。

新潟にも、柏崎刈羽原発がある。
地震列島に 原発はいらない。
改めて思う。

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今朝は、ふじみ野駅西口で宣伝。塚越洋一市議と一緒。いつもなら、県議団会議の日だが、今週は水曜日に変更。
駅宣終わると、浦和に行くのだが、今日は、母のところに寄ってみた。
「あれ?珍しい時間に珍しい人が来た」と母。昔茶道を習っていた母に「日々是好日」の映画のパンフを見せたら「雨が降らなければいけるね」と映画見る気満々!(^^)! 母が持っていた茶器は、ご飯茶碗に使っている無作法な私としては、罪滅ぼしに、映画行くことを考えなくては〜。
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このブログを書いていて、ふと、23日だから 母のところに行ったのかしら・・・と 無意識の中の意識を意識する。(@_@)
posted by とんちゃん at 23:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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